シンガポール国立博物館
14世紀から現代までのシンガポールの文化を感じることができます。
展示説明のためのイヤホン付きポータブルガイドの貸し出しがあります。日本語もあり。
館内にはレストランやショップなど休憩できる場所もあります。
雨で観光ができないときには、このシンガポール博物館でシンガポールの歴史について触れてみるのも良いでしょう。
シンガポール国立博物館 情報
営業時間 9:00-18:00
休業日 無し
駐車場 有り
料金 大人$15 小人$10
住所 Level 2, Glass Rotunda シンガポール国立博物館 93 Stamford Road, Singapore 178897
ホームページ Story of the Forest, National Museum of Singapore
<日本語無料ガイド>(火~金)10:30~ *予約無し可能
行ってきました
MRTの駅からは10分ほどで到着します。
英語、中国語、マレー語、あとタミル語?で書かれております。
外観は欧州風です。暑いからすぐ中に入りましたが、なかなか絵になる建物です。
正面入り口から広角でとりました。
旅行ではこの様な建築物を見る楽しみもありますね。
ちょうど15分ほど待つと日本語ガイドサービスがあるので参加しました。
日本語が話せるボランティアの方によるガイドです。
正面入ってすぐ。
天井のステンドグラスがなかなか良い感じですね。
見ていて飽きません。
こちらは旧館から新館に行く中庭です。
今は新館にほとんど展示品は移されております。
アジアの古地図です。
JAPANは沖縄と九州くらいの認識しかなかったようです。
イギリスの方でシンガポールに関わりがある方です。
詳細を忘れてしまいました。
医療に貢献した方の紹介です。
小川で給水、排水をしており衛生状態が悪かったのを指摘し整備や衛生に貢献した方。
シンガポールの関わりの深い方々を紹介しておりました。
そして近代史。
日本のアジア侵略も紹介されておりました。
戦車が丸々展示されておりました。
見方によれば貴重な展示品です。
博物館では善悪を問う思想性は無く、歴史の事実を展示してありました。
タイを陥落させた日本軍は「銀輪部隊」を結成し、わずか5日で1100kmの道のりを自転車で走破したそうです。
当時品質が良かった日本の自転車が東南アジア各地に輸出されており、故障しても部品調達が容易だったからだそうです。
自転車はやマレー半島のジャングルを駆け抜けたそうです。
自動車、戦車が通れない狭い道でも通れ、川があれば担いで渡れた。
銀輪部隊は破壊された橋の修復を行いつつ進軍し、緒戦の南方攻略を容易にした部隊です。
「マレーの虎」と言われ英国軍を震えあがらせた山下奉文陸軍中将。
水野晴朗のシベリア超特急を思い出させます。
戦いの兵力を示す展示板です。
思ったほど戦車は投入されておりません。
空戦、陸戦中心だったようです。
パネルでは説明が少なかったので、
以下ウィキペディア(Wikipedia)引用です。
シンガポール島攻略作戦
1942年1月31日、第25軍司令部はクルアンの戦闘司令所に第五師団、第十八師団、近衛師団の参謀らを集めてシンガポール島の攻撃準備に関する軍命令を下した。命令に従い、第五師団、第十八師団、近衛師団、軍砲兵隊は準備を行った。2月4日、第25軍は戦闘司令所をスクダイに前進させ、6日各兵団長、独立部隊長を集めて攻撃命令を下し、軍司令官が訓辞を行った。第三飛行集団はシンガポール作戦と南部スマトラ作戦(2月10日攻撃開始予定)の準備を同時に進め、シンガポール島攻撃開始は7日夜とした。
2月4日朝、軍砲兵隊は射撃準備を終え、以後逐次射撃を開始し、シンガポール島に対する攻撃は軍砲兵の攻撃準備射撃で始まった。8日、軍主力の渡航開始。 10日夜、連合軍の主陣地と予想されていたパンジャン付近の要線は大きな抵抗もなく予想外にたやすく攻略できた。11日朝、第25軍司令官は英軍司令官に対し降伏勧告文を通信筒で飛行機から投下させた。英軍の抵抗はシンガポール市街の周辺でにわかに強化され、日本の弾薬は欠乏したが、15日午後、英軍は降伏した[。英軍司令官パーシヴァル中将は降伏の原因は断水にあると語っている。14日に砲撃、空襲で送水管、水道管が破裂し、15日給水状況は逼迫し、専門家が今後一昼夜の給水しかできないと判断したという。
2月15日午後10時、停戦となり、シンガポールの攻略作戦は終了した。
第25軍の発表では、2月末日までに判明したシンガポール攻略作戦間の戦果と損害は、捕虜が約10万人、日本の戦死1713名、戦傷3378名。イギリス軍は約5,000名が戦死し、同数が戦傷した。
1942年5月18日、南方軍は南方軍第三期作戦を終了した。英領マレー方面の第三期作戦では要域の安定確保を定めていた。
戦争関連の展示品は意外と多く、アジアの歴史に刻まれております。
戦争も終わり、独立運動が盛んになって来たのを示す展示品。
英語の他にマレー語を学ぶ方針をとったそうです。
1963年にシンガポールはイギリスからの独立を宣言し、マレー連邦に参加予定だった。
だが、中華人の多いシンガポールはマレー人を中心とするマレー連邦にふさわしくない、との事でマレー連邦としての独立は出来ずに小さな島国、人口500万人で独立せざるを得なくなった。
との新聞記事を展示しております。
その後、工業化を進めて近代国家へと急速に変化していきます。
1970年代には家を格安で国民に提供し経済、金融発展へと移り変わります。
ちょいお洒落です。
森林の香りをかげるブースです
建物の2階からの景色。
1階からとはイメージが異なります。
謎の仮面か盾を展示しておりました。
2階はあんまり訪れる人がおらず、ひっそりと展示してありました。
濃いい少年のイラストと庶民の生活を展示しておりました。
クセになる絵柄ですね、、、
建物も良いし、中もタメになる博物館でした。
まったくの知識ゼロから訪れたので斬新で面白かったです。
2回目はもう少し違った視点から見られると思います。
シンガポールは娯楽が多く、なかなか博物館のような地味めの施設には行きにくいとは思いますが、是非とも訪れて国の歴史や生い立ちに触れてみて下さい。
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